ルーブルの硝子

東中野を訪れたのは、すでに喫茶ルーブルが閉店した後のことでした。


東京喫茶店研究所二代目所長の難波里奈さんから誘われ、家具や備品を処分する前に、一度見に行くことになったのです。


到着するや否や、元気溌剌と笑顔のマダムが迎えてくれました。


ルーブルの看板、銅製の灰皿、かわいい椅子、オシャレなランプ、ありとあらゆる物が全て魅力的。

捨てちゃうなんてもったいないなぁと強く感じたことを思い出します。

中でも印象的だったのは、仕切りに使っていた硝子。


「この硝子いいのよ。こんな細工ができる職人さんはもういないんじゃないかしら。こだわって作ってもらったのよ。」

マダムは言った。


確かに、控えめだけどエレガントなデザインは、素人目に見ても安価でないことはわかるし、量産できるような代物ではないことも理解できる。


この硝子は、このお店の歴史を、ずっとここで見守ってきたんだなぁ。

最初は、店内を彩るひとつのアイテムとして発注されたものかもしれない。

でも、マダムが仕事中にふと目を向けた時、素敵なデザインにテンションが上がったり、キュンとなったり、そんな瞬間があったのかもしれないなぁと、想像する。


客席への動線にこの硝子があるだけで自然と笑顔で対応できたり


ちょっと具合が悪い日でも、ご主人と硝子越しに目を合わせ、もう一踏ん張りだと奮起したり


マダムの語り口からも、この硝子への思いが特別なものであることがわかった。


このまま全て取り壊されてしまうのかと思うといたたまれない。そう思った刹那、難波さんが口を開く


「井ノ原さん、この硝子どうですか?」


え?


「もし可能なら、絶対いいと思います!」


するとマダムも


「壊してしまうのは残念だわ。とっても好きだったのよこの硝子。


ううう、う〜ん。悩ましい。


当時「喫茶二十世紀神宮前店」は完成したばかりだった。硝子だけを使えるような場所はない。

それに、ルーブルのカウンター建具と一体化しており、硝子だけを外すのは、なかなかに骨の折れる作業だ。


腕を組んで考える私。

上目遣いのマダム。

祈る難波さん。



次の瞬間、私はポケットからスマホを取り出し、ある人物へ電話していたのである。




つづく

 

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